金沢ふるさと偉人館

金沢ふるさと偉人館は、金沢ゆかりの「近代日本を支えた偉人たち」を展示する博物館です。               【旧偉人館雑報】 https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/blog/index.html

令和4年度企画展

金沢ふるさと偉人館 令和4年度企画展を紹介します。 前期:「中西悟堂 まぼろしの野鳥図鑑」 後期:「高峰譲吉没後100年記念展(仮)」

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悟堂と『野鳥ガイド』

さて、一か月以上もご無沙汰してしまいました…。 皆さん前の内容は覚えておられますかね?私はうろ覚えです。   色々締切に追われる日々が少し収まってきたので、そろそろ本腰いれて更新していきますよー!…多分。(……可能であれば…)   悟堂と日本野鳥の会悟堂が日本野鳥の会(現・公益財団法人日本野鳥の会)を創設し、雑誌『野鳥』を刊行したのは、昭和9年(1934)の事でした。 創設時のメンバーをみてみると、名だたる鳥類学者の他、泉鏡花や柳田國男(民俗学者)、北原白秋(詩人)、荒木十

②中西悟堂というひと

前回の更新日:4月24日   …えっ   あっという間に時間は過ぎていくものだなあと実感したところで、今回は企画展の主役である中西悟堂とはどういった人物なのか、少し掘り下げてみたいと思います。   「日本野鳥の会の創設者」「動物愛護や自然保護に尽力した偉人」として知られていますが、実は短歌や詩もたくさん残しており、歌人・詩人としても著名という多彩な才能の持ち主でした。 また、中々に強烈…ユニークなエピソードが満載且つ波瀾万丈な人生を歩んできた人物です。   ということで、悟堂

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①始まりにしてトリ 中西悟堂企画展紹介

長らくサボ…昨日から始まった企画展準備に忙殺されて約1ヶ月ぶりの更新となりました。 今回も企画展時期に併せて、 『企画展をより楽しむための偉人講座』 を雑報で更新していきたいと思います。 始まる前から宣伝しとけっていう正論はスルーして、まずは企画展の主役を紹介します。 今回の主役は、「日本野鳥の会」の創設者でお馴染み 中西悟堂(1895-1984) 白山の国立公園への昇格や『鳥獣保護法』(昭和38年)などの法律制定のために奔走するなど、野鳥の愛護と自然環境の保全に生

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雑報

日々のアレコレ

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八田與一の通学路を歩く

先日5月8日は、八田與一の命日でした。 八田與一は昭和17年(1942)5月8日、客船「大洋丸」でフィリピンに向かう途中、アメリカの潜水艦の攻撃を受けて殉職します。今年は没後80年の節目となります。 例年この日は台湾にて八田與一慰霊祭が執り行われ、日本からも関係者が参列していたのですが、ここ数年のコロナ禍により渡航は控え、今年は金沢ふるさと偉人館の庭にある八田與一胸像の前で慰霊祭が執り行われました。 慰霊祭は午後3時からだったのですが、午前中何をしていたのかというと、

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休館延長&企画展終了のお知らせ

ここ3週間の出来事― (先月)8月22日まで臨時休館! 「まだだ!まだ会期は一週間残されている!」 (今月頭)まん延防止発動!!8月31日まで休館延長!! 「…9月12日…延ばせるギリギリぶっちぎりまで会期延長だァ!!」 (本日)9月12日まで休館延長!!! タイトルにある通り、臨時休館期間の延長に伴い、企画展「徳田秋聲生誕150年記念『光を追うて』に見る金沢-徳田秋聲と桐生悠々-」は会期を終了することに決定いたしました。 石川県も感染者数が横ばいの状況ですので、予想はし

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【雑報】偉人館隠れ?スポット

おはようございます。 東京は猛暑日を記録したようですが、金沢は昨日より比較的涼しい日が続いております(ムッシ暑いですけど…)。 さて相変わらず休館中の当館ですが、今回は休館日でも観覧できる偉人館の”庭”をご紹介。 …え?庭あるの?とたまに聞かれるくらい影薄い庭ですが、実は結構見どころ盛りだくさんなんです。特に多いのが「近代バイオテクノロジーの父」こと高峰譲吉関係。 ということで今回は庭にある高峰譲吉ゆかりのものをピックアップ! 偉人館の入口前で右を見ると、最初に目に入る

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ホップ・ステップ・ジャンプ!ー跳ぶ哲学者 大島鎌吉

令和3年度後期企画展「ホップ・ステップ・ジャンプ!ー跳ぶ哲学者 大島鎌吉」(10/1~11/14)をもっと楽しんでもらうための様々な情報を発信していきます。 【大島鎌吉とは】 近現代における日本スポーツ界の振興に尽力した偉人です。 1932年ロサンゼルスオリンピックの三段跳び銅メダリストであり、ドイツ従軍記者として第二次世界大戦下の欧州を飛び回り、戦後は東京オリンピック選手団団長をつとめるほか、スポーツを通した青少年育成活動と平和運動に尽力したという、異色の経歴の持ち主です。 平和に基づくスポーツ思想と国内外をまたにかけた縦横無尽の活動から、「跳ぶ哲学者」「アジアのカール・ディーム」「東京オリンピックをつくった男」「プロフェッサー・オーシマ」「学生スポーツの父」など様々な異名を併せ持ちます。

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⑤時をこえて(終)

金栗「え~…今度55年ぶりに、やって来ましたので。」 志ん生「いや~実に、長い道のりでした。走ってる間に、妻をめとり、六人の子と、10人の孫が、生まれました。ありがとうございました。」 ――第47回「時間よ止まれ」より 金栗四三がゴールして大団円を迎えた「いだてん」。 大河ドラマにしては珍しく(?)、大変晴れやかな最終回だったのが非常に印象的でした。 しかし、大島にとって東京オリンピックは開催=終了ではなく、むしろスタートでした。 「いだてん」最終回の先――大島のその後

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④平和の祭典(その8)

大島「田畑さんが表にいてくれたらな…」 田畑「大島君、それを言われると、俺もつらい」 ――第46回「炎のランナー」より 聖火ランナー(第45、46回)いよいよ大会本番が近づく中、いよいよ聖火ランナーの選考がはじまります。 「いだてん」本編では、組織委員会では最終走者として日本スポーツ界のレジェンド・織田幹雄の名前が上がる一方、裏組織委員会(まーちゃん宅)ではこんなやり取りが。 田畑「待って待って。織田? 金栗? ジジイじゃんね~」 大島「いや…ですが、かつての名選手が走れ

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④平和の祭典(その7)

菊枝「他紙はともかく、古巣の「朝日」まで田畑憎しの袋だたき……なぜ、田畑ばかりこんな…。」 松澤「奥さん…まーちゃんは、意外と嫌われているんです。」 岩田「あっ。」 菊枝「…でしょうね。」 ――第44回「ぼくたちの失敗」より ふたりの嫌われ者(第44回)発言が二転三転したり、TVでの横柄な態度(に見える様子)から世間のバッシングを受け、遂に国会にまで召喚されたまーちゃん。 あそこの伏線回収は唸るものがありました…。 あの国会審問の様子は、実際に議事録として残っておりますので

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④平和の祭典(その6)

五りん「続きまして1932年ロサンゼルスオリンピックで!これまたね、三段跳びの選手でございますからね。大島鎌吉!」 大島「えっ、呼んだ?」 ――第42回「東京流れ者」より 「いだてん✕大島鎌吉」も、ここに至るまで記事にして12回…ようやく本編描写とリンクし始めました。 …いや長いよ!!もっと短くまとめろ馬鹿やろめ!! と、まーちゃんから怒られそうですが、あと数回、お付き合い頂ければ…(^^;) それでは、「東京オリンピックをつくった男」大島鎌吉の活動を見ていきましょう。

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渋沢栄一と金沢の偉人

大河ドラマ「青天を衝け」に便乗して、渋沢栄一と関わりの深い金沢の偉人とその逸話について紹介します。

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渋沢栄一と高峰譲吉 出会いと別れ(下)

令和3年の内に上げるつもりが、もう新年始まって2週間以上経ってしまいました…。 新しい大河ドラマも始まってしまいましたが、引き続き栄一について見ていきましょう。 日米親善日露戦争後、アメリカでは日本の移民問題も重なって排日論が高まっていきます。こうした中で、栄一が実業団の代表として大統領や各地方の政財界の有力者たちと交流している本編で様子が描かれていました。 そんな栄一の活動をアメリカでサポートしたのが譲吉…という話は以前紹介しましたが、譲吉はこの他にもアメリカにおける日

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渋沢栄一と高峰譲吉 出会いと別れ(上)

遂に最終回を迎えた『青天を衝け』。 全41回と歴代大河の中でも少ない話数でしたが、最初から最後まで見応えのあるものでしたね。…しかし、41回で描き切るには渋沢栄一の生涯はあまりにも膨大すぎる(年齢的にも業績的にも残存史料的にも)。 ということで、『青天を衝け』本編中では残念ながら描かれなかった、栄一の知られざるドラマをご紹介します。 そして、その物語には金沢の偉人が深く拘わっているのです。 神戸での邂逅明治19年(1886)12月、栄一は銀行の用務で神戸を訪れていました。

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渋沢栄一と高峰譲吉 日露戦争編

本日12月19日の『青天を衝け』第40回「栄一、海を越えて」は1時間拡大版で日米親善に尽力する渋沢栄一が描かれるはず。 …ちょろっとでも出てこないかなーと淡い期待をしつつ、さて今回は日露戦争をテーマに高峰譲吉の活躍を見ていきたいと思います。 伊藤博文のアメリカ説得作戦前回、栄一が日露戦争勃発に際し、商工業界を取りまとめた様子や、小村寿太郎がアメリカの仲介のもとポーツマス条約を結んだことが描かれていました。 そのなかで、井上馨が伊藤博文の策でアメリカに仲介役を頼んでいたと触れ

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渋沢栄一と高峰譲吉

先日の回(2021/12/12放送)では、渋沢栄一が日本の実業界を代表して訪米し、セオドア・ルーズベルト大統領(テディベアの元ネタになった人)と会談する様子が描かれていました。 会談の様子は当時の記録にも残されています。 『渋沢男爵欧米漫遊報告』の「(三)大統領ルースヴヱルト氏ト会談ノ要領」をみると、ちょうど放映の会話と同じ内容部分が。 ※記事中の引用文は、断りがない限り デジタル版『渋沢栄一伝記資料』第25巻「3款 欧米行」 https://eiichi.shibusa

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企画展 徳田秋聲生誕150年記念「『光を追うて』に見る金沢」

令和3年度企画展「徳田秋聲生誕150年記念『光を追うて』に見る金沢-徳田秋聲と桐生悠々-」(4/24-9/12)に関する記事をまとめたものです。

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秋聲と東山の旧宅

ご存じの通り、休館日が9月いっぱい延長となりました。 9月25日から予定していた企画展も早速延期になりましたが、10月1日(金)からの開催を目指して鋭意準備中です! さてさて、前回ト一亭の関係でご紹介した『石川県下商工便覧』(明治21年刊)ですが、実はこの中に秋聲と縁の深い建物が載っています。 それがこちらの「花月庵」(料理商 金澤御徒町 花月庵) 実は、こちらの建物は元・徳田邸…すなわち徳田一家が住んでいたお屋敷なのです(!) 土塀、建物の数、庭園といい、元は立派な武家

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秋聲は見た―三層楼の白堊の牛肉店

前回の更新からあっという間に10日近く経ってしまいました…。その間に三十路に突入。定年まではまだまだ道のりが長いですね。 さて、今回は『光を追うて』に登場するとあるお店についての謎を追っていきます。 ・・・・・・対岸には三層楼の白堊の牛肉店などが聳えたち、・・・・・・ ・・・・・・川向こうの三層楼の牛肉店では、いつも葱をつけてくれたが、それを兄と二人で炉の切ってある長四畳の中の間で煮て食うことにしていた。 「三層楼の白堊の牛肉店」 皆さんはご存じでしょうか?金沢―特に浅

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物書きってレベルじゃねぇぞ!―若き秋聲と悠々の挫折

次期企画展の準備にかまけて気づけば10日近くも更新をサボっておりました…。 えー前回青春篇最終回とのたまいながら前半だけで区切っちゃいましたが、今度こそ最終回です。 さて、小説家を目指して上京した秋聲と悠々は、尾崎紅葉の門下生となるために紅葉宅を(アポなしで)訪ねます。すると、中から出てきたのは玄関番をしていた泉鏡花でした。 これには秋聲もビックリ…というわけでもなく、弟子入りしているのは事前に把握していた模様。 いずれにせよ、玄関番が知り合いだったわけですからこれですん

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そうだ東京に行こう―秋聲と悠々の青春アミーゴ―

長らく本編(?)をお休みしておりました。学生時代の秋聲と悠々について、石川県専門学校→第四高等中学校の順でみてきましたが、今回は青春編いよいよ最終回。 前回までのあらすじ 数学と化学が大の苦手だった秋聲は次第に文学への情熱から、落第と父の死を契機として学校を退学。親友の桐生悠々とともに尾崎紅葉(当時の売れっ子小説家)に弟子入りするために上京して尾崎邸を訪問します。 そこで玄関番として現れたのは、後輩の泉鏡花でした。 少し刻を遡って、秋聲たちが金沢を出発して東京にたどり着く

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