金沢ふるさと偉人館

金沢ふるさと偉人館は、金沢ゆかりの「近代日本を支えた偉人たち」を展示する博物館です。               【旧偉人館雑報】 https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/blog/index.html

金沢ふるさと偉人館

金沢ふるさと偉人館は、金沢ゆかりの「近代日本を支えた偉人たち」を展示する博物館です。               【旧偉人館雑報】 https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/blog/index.html

マガジン

  • 渋沢栄一と金沢の偉人

    大河ドラマ「青天を衝け」に便乗して、渋沢栄一と関わりの深い金沢の偉人とその逸話について紹介します。

  • 令和6年度企画展

    金沢ふるさと偉人館令和6年度企画展に関する記事です

  • 雑報

    日々のアレコレ

  • 開館30周年記念(2023)

    令和5年の金沢ふるさと偉人館開館30周年記念展示・イベント情報を更新していきます。

  • 令和4年度企画展

    金沢ふるさと偉人館 令和4年度企画展を紹介します。 前期:「中西悟堂 まぼろしの野鳥図鑑」 後期:高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!」

令和6年度企画展

金沢ふるさと偉人館令和6年度企画展に関する記事です

くわしく見る

福祉の歴史に金沢あり! ―番外編・井上友一と福祉―

次回は善隣館編!とお伝えしていたのですが、企画展で泣く泣く端折った部分について、番外編としてお届けします(唐突) 企画展のテーマが「金沢の福祉」ということで、枠の都合もあって触れていない(酷い)のですが、実は中央政府にあって福祉に携わった金沢出身の偉人がいました。 その名は井上友一(1871-1919)。  徳田秋聲や泉鏡花の小学校の先輩にあたり、鈴木大拙・西田幾多郎・藤岡作太郎たちと石川県専門学校、第四高等中学校で交友を深め、帝国大学を卒業後は内務官僚となり最後は東京府

福祉の歴史に金沢あり! 企画展紹介―陽風園編②―

今年は講座・講演会の依頼が多く、中々雑報の執筆に時間が割けないというありがたい悲鳴を抱えております 先日は東京で漆芸家・松田権六について語ってまいりました! 紹介しきれなかった逸話もそのうち雑報で紹介するとして、今回は再び企画展「福祉は金沢(ここ)から始まった!―陽風園と善隣館―」の続きをやっていきますよ! 小野太三郎の精神を受け継いだ 今田與三松「仁愛の精神」のもと、小野休養所(現 陽風園)をつくり金沢の福祉をになった小野太三郎。 彼のもとには、同じ志をもつ人々が集まりま

福祉の歴史に金沢あり! 企画展紹介―陽風園編①― 

9月14日(土)から始まりました後期企画展「福祉は金沢(ここ)から始まった!―陽風園と善隣館―」 金沢から始まった! とはまた大仰な…と思われると思いますが、実は当館の常設展示で顕彰している小野太三郎(1840-1912)は「日本の社会福祉の祖」「個人による社会福祉事業を初めて実践した人物」として知られています。 そして、今回のタイトルにもある陽風園―正式名称は「社会福祉法人陽風園」は小野太三郎を園祖とする社会福祉法人で、令和5年(2023)に創立150周年を迎えました。

館蔵品展【後期】の見どころ紹介②ー日置謙編ー

館蔵品展【後期】も一月前に終わり、後期展示も始まってまもなく2週間… ということはさておき、前回お伝えした通り、後期展唯一の非常設メンバーである日置謙(へき けん)について紹介していきます! 石川県の歴史をつくった男 「石川県の歴史をつくった」とはまた大仰な、と思うかもしれませんが、あながち誇張でもございません。 その理由は後で説明するとして、まずは日置謙の簡単な略歴を紹介します。 一中の名物教師 日置謙(1873~1947)は金沢出身の郷土史家で、数多くの偉人を輩出し

渋沢栄一と金沢の偉人

大河ドラマ「青天を衝け」に便乗して、渋沢栄一と関わりの深い金沢の偉人とその逸話について紹介します。

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福祉の歴史に金沢あり! ―番外編・井上友一と福祉―

次回は善隣館編!とお伝えしていたのですが、企画展で泣く泣く端折った部分について、番外編としてお届けします(唐突) 企画展のテーマが「金沢の福祉」ということで、枠の都合もあって触れていない(酷い)のですが、実は中央政府にあって福祉に携わった金沢出身の偉人がいました。 その名は井上友一(1871-1919)。  徳田秋聲や泉鏡花の小学校の先輩にあたり、鈴木大拙・西田幾多郎・藤岡作太郎たちと石川県専門学校、第四高等中学校で交友を深め、帝国大学を卒業後は内務官僚となり最後は東京府

渋沢栄一と高峰譲吉 出会いと別れ(下)

令和3年の内に上げるつもりが、もう新年始まって2週間以上経ってしまいました…。 新しい大河ドラマも始まってしまいましたが、引き続き栄一について見ていきましょう。 日米親善日露戦争後、アメリカでは日本の移民問題も重なって排日論が高まっていきます。こうした中で、栄一が実業団の代表として大統領や各地方の政財界の有力者たちと交流している本編で様子が描かれていました。 そんな栄一の活動をアメリカでサポートしたのが譲吉…という話は以前紹介しましたが、譲吉はこの他にもアメリカにおける日

渋沢栄一と高峰譲吉 出会いと別れ(上)

遂に最終回を迎えた『青天を衝け』。 全41回と歴代大河の中でも少ない話数でしたが、最初から最後まで見応えのあるものでしたね。…しかし、41回で描き切るには渋沢栄一の生涯はあまりにも膨大すぎる(年齢的にも業績的にも残存史料的にも)。 ということで、『青天を衝け』本編中では残念ながら描かれなかった、栄一の知られざるドラマをご紹介します。 そして、その物語には金沢の偉人が深く拘わっているのです。 神戸での邂逅明治19年(1886)12月、栄一は銀行の用務で神戸を訪れていました。

渋沢栄一と高峰譲吉 日露戦争編

本日12月19日の『青天を衝け』第40回「栄一、海を越えて」は1時間拡大版で日米親善に尽力する渋沢栄一が描かれるはず。 …ちょろっとでも出てこないかなーと淡い期待をしつつ、さて今回は日露戦争をテーマに高峰譲吉の活躍を見ていきたいと思います。 伊藤博文のアメリカ説得作戦前回、栄一が日露戦争勃発に際し、商工業界を取りまとめた様子や、小村寿太郎がアメリカの仲介のもとポーツマス条約を結んだことが描かれていました。 そのなかで、井上馨が伊藤博文の策でアメリカに仲介役を頼んでいたと触れ

雑報

日々のアレコレ

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遺品里帰り展―八田與一が遺したもの(下)

前回は八田與一の業績について紹介しましたが、今回は筆者が昨年現地に赴き、実際に聞いた「與一が遺したもの」について紹介していこうと思います。 昨年台湾で催された八田與一墓前祭に参加するため、筆者は八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会さんなど墓前祭参加者の人々とともに台湾に赴きました。 (去年雑報に体験記を上げるはずが多忙すぎて断念…) 墓前祭当日までの間、台湾の博物館や八田與一にかかわる施設・史蹟などを見学して回ったのですが、そこで台湾の人びとから、嘉南大圳の現状や與一の知られざ

遺品里帰り展―八田與一が遺したもの(上)

偉人館では今週末(10月6日)まで、八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会さんとの共催展示「八田技師遺品里帰り展」を開催中です。 開催初日(9月21日)からは3日間にわたり、八田與一が主役の映画『パッテンライ!!~南の島の水物語~』の上映会を開催しました。 当館では常設展示で顕彰している土木の偉人・八田與一(1886-1942)。 最近では当館で扱っている偉人の中でも、泉鏡花や西田幾多郎らと並んで全国区になってきました。 與一の著名な業績とは、台湾南部の嘉南平原における巨大農業用

別れの季節―偉人館中興の祖・増山副館長ご退職―

みなさまご無沙汰しております。 年明けからわちゃわちゃと業務をこなしておりましたところ (…あれ?雑報更新しとらんな…?) と気づいたのは3月下旬でございました。一回書く習慣がなくなるとダメですね……。 そして本日は令和5年度最終日! 娑婆は29日(金)でご退職や転職、異動という方も多かったのではないでしょうか。 月曜休館の偉人館は本日が年度ラストになります。 そして、本日付で24年間偉人館にお勤めになられた、増山副館長がご退職となりました。 増山副館長といえば、旧雑報

【報告】偉人館の近況と今後につきまして

この度、令和6年能登半島地震で亡くなられた皆様に、深く哀悼の意を捧げます。 被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。 一日も早い復旧をご祈念申し上げます。 令和6年能登半島地震より10日目。 能登半島をはじめ、県内各地や富山・新潟など他県でも多くの被害が確認されています。 金沢ふるさと偉人館は現在、収蔵品や建物設備点検を終え、6日(土)から開館を再開しております。 情報は旧TwitterやHPにて更新していましたが、改めて雑報にまとめておきたいと思います。 資料

開館30周年記念(2023)

令和5年の金沢ふるさと偉人館開館30周年記念展示・イベント情報を更新していきます。

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【終了】講演会「木村栄でつなぐ過去と未来の天文学」

前回は開催中の特別展「天地人―木村栄がつなぐ天文学―」の見どころ紹介を行いました。 今回は今週末に開催される記念講演会についてご紹介します。 木村栄でつなぐ過去と未来の天文学 【日 時】9月23日(土祝)13時00分~15時30分(12時30分開場) 【場 所】金沢歌劇座 大集会室 (金沢市下本多町6番丁27番地) 【参加費】一般500円 高校生以下無料 【定 員】250名 電話(076-220-2474)にて申込受付中! タイトルが特別展とややこしいですが、こちらは木村

特別展紹介(下) 天地人―木村栄がつなぐ天文学―

(上)では特別展のテーマとタイトルについて述べてまいりました。 木村栄でつなぐ「地域」「時間」「人」 壮大な天文学の世界 このふたつを展示空間で表現していくことが、今回の展示コンセプトだったわけですが、今回は展示構成と展示資料について紹介していきましょう。 1.展示構成今回のタイトル「天地人」に即して 「天 金沢―天文学の夜明け」 「地 水沢―緯度観測所の挑戦」 「人 木村栄―受け継ぐ者たち」 という三章構成となっています。 「天」の舞台は、金沢。 ・近世加賀藩における西

特別展紹介(上) 天地人―木村栄がつなぐ天文学―

当館は平成5年(1993)に開館してから今年で30周年を迎えます。 開館当時は5名(高峰譲吉・木村栄・三宅雪嶺・鈴木大拙・藤岡東甫)だった偉人も今では38名という大所帯になりました。 後期企画展は開館30周年を記念して、オープニングメンバー(初期メン)である木村栄をテーマとした特別展「天地人―木村栄がつなぐ天文学―」を8月5日(土)から11月26日(日)まで開催中です。 …いや、はじまって一か月以上経過しとるやないかーい ハイ…スミマセン… 最近更新が滞りまくりの雑報でし

キセキの世代⁉明治六年組の軌跡 企画展紹介

明治三年の奇跡― いわゆる「加賀の三たろう」こと鈴木大拙・西田幾多郎・藤岡作太郎、そして天文学者の木村栄が明治3年(1870)生まれであることから、”奇跡の世代”として、このように呼ばれています。 一方、実はあまり知られていないけれども、近代という時代を通して特に多くの偉人を輩出した年があります。 それが、明治6年(1873) 社会では福沢諭吉たちが結成した明六社・明六雑誌が有名ですが、この年の金沢では、後に日本各地で活躍する偉人たちが誕生しました。 その数はなんと最

令和4年度企画展

金沢ふるさと偉人館 令和4年度企画展を紹介します。 前期:「中西悟堂 まぼろしの野鳥図鑑」 後期:高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!」

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4.塩原又策のみた高峰譲吉

譲吉と又策の出会いや三共での協力については既にみてまいりましたが、又策が譲吉のために成したことで特に大きいのは、譲吉の逝去に際し行った様々な顕彰運動が挙げられます。 7月22日の譲吉逝去から5日後、東京の又策の家で譲吉の告別式が営まれました。 又策のほか、井上準之助・穂積陳重・大河内正敏・大倉喜八郎・大橋新太郎・大谷嘉兵衛・高橋是清・高松豊吉・団琢磨・益田孝・副島道正・古市公威・浅野総一郎・北里柴三郎・岸清一・渋沢栄一・鈴木梅太郎らが友人総代として、九百人あまりの来弔者とと

3.高峰譲吉と三共(後編)

前回は、高峰譲吉と三共の創業者・塩原又策の出会いについて紹介しました。 今回は、理化学研究所創設をめぐる譲吉と三共の動きについてみていきましょう。 国民化学研究所の提唱大正2年(1913)に譲吉は日本に一時帰国します。この時、各地の講演会や雑誌上で提唱したのが官民一体で研究を推奨する「国民的化学研究所の創設」でした。 渋沢栄一によると、譲吉は次のような構想を栄一に語ったといいます。 また、有名な戦艦と研究所の話も、『実業之日本』に投稿した「余が化学研究所設立の大事業を企

2.高峰譲吉と三共(前編)

今回は高峰譲吉と第一三共株式会社の関係について紹介していきます。 現在、第一三共の歴史展示室には三名の人物が展示されています。 ビタミン学の祖として知られ三共株式会社学術顧問であった鈴木梅太郎 梅毒治療剤アーセミンを創製し第一製薬株式会社顧問を務めた慶松勝左衛門 三共株式会社初代社長を務めた高峰譲吉 そう、実は第一三共株式会社の前進である三共株式会社の初代社長は高峰譲吉だったのです。 ただし、創業者は別。 ん? 初代社長なのに、創業者は別? どういうことかというと、こ

1.高峰譲吉没後100年展 見どころ紹介

大分更新が滞っておりましたが、偉人館雑報活動再開でございます。 会期も残すところ1週間ちょっととなりましたが、ラストスパートを祈念して、高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!―二千五百年の歴史に於て初めての人―」の見どころを紹介してまいります。 今回の展示テーマは大きく二本柱で構成されています。 1本目の柱は「没後100年」。 譲吉の死後、新聞や追悼会でどのような評価がなされていたかを紹介しています。 特に評価された四つの顔「発明家」「化学者」「実業家」「