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別れの季節―偉人館中興の祖・増山副館長ご退職―

みなさまご無沙汰しております。
年明けからわちゃわちゃと業務をこなしておりましたところ
(…あれ?雑報更新しとらんな…?)
と気づいたのは3月下旬でございました。一回書く習慣がなくなるとダメですね……。

そして本日は令和5年度最終日!
娑婆は29日(金)でご退職や転職、異動という方も多かったのではないでしょうか。
月曜休館の偉人館は本日が年度ラストになります。

そして、本日付で24年間偉人館にお勤めになられた、増山副館長がご退職となりました。

増山副館長といえば、旧雑報の中の人(2020年まで)。
極稀にしか更新しない名文豪として知られておりました。
今回も最後の雑報書いてくださいね!とお願いしてたのですが、「わすれてた」と逃げられたので、私(二代目中の人)が副館長と偉人館の歴史について(勝手に)綴っていきたいと思います。

増山副館長が偉人館にきたのは平成13年(2001)のことでした。
当時はまだ「金沢市立ふるさと偉人館」として市直営の施設であり、職員も市から派遣された方が数年交替で担当する形をとっていました。
元々は考古畑の人間だった副館長。
「最初は数年で異動の予定やったんやけどなあ、まさかこんなにおることになるとは思わんかったわ(笑)」
とよく語っておいででした。

偉人館は今年度開館30周年でしたので、副館長は偉人館の歴史の5分の4を経験しているまさに生き字引であり、現在の偉人館の礎を築いた「中興の祖」でもあります。

ひとつの転機となったのが、平成16年(2004)。
専属の学芸員を偉人館に置くことになり、副館長―の呼びだとややこしいのでここからは増山さん―が初代専属学芸員となりました。
それまで数年おきに交替だったため、最初は偉人のご遺族からも「またすぐ変わるのよね~」という反応だったそうですが、今では「増山さん増山さん」と皆様から慕われる存在に。
ご退職を報告した際も「寂しくなるわ~」と皆様からお声を頂いておりました(「まだ60代でしょう?若いから何でもできるわね!」と力強いお言葉もたくさん)

更にその翌年には館長に外部有識者を招くことになり、ここから偉人館が大きく変わっていきます。

新体制になってから、当時年々落ち込んでいた利用者数や、どうしたら子ども達に偉人学習を楽しんでもらえるかといった課題に取り組んでいきました。
この時期から始まったことと言えば、
・顕彰する偉人の増員(5人→8人→17人→…現在は38人)
・偉人イラストの採用
・子ども向きパネルの作成
・子ども作品展(名前一文字展・自画像展・偉人百句など)の実施
等が挙げられます。

偉人が増えたことにより、様々なジャンルの偉人を網羅できるようになりました。
増山さんはよく「偉人を学ぶんやなくて、自分の好きなものを探すヒントとして偉人を知ってほしい」というスタンスを語っておられました。
偉人学習は子ども達が将来を夢みるサポートになれば良い、と。

過去を知り、未来を育む―この姿勢は現在の偉人館にもしっかりと息づいています。

そのためにも、子どもたちには偉人という存在をより身近に感じてほしいと考え、始めたのが偉人のイラスト化でした。
その効果は絶大で、それまで子ども達にとって「白黒のオジサン」だった偉人のイメージが、とても親しみ深いキャラクターへと変わっていきました。
かくゆう増山さんもポートレート展の際にイラスト化しております。

イラスト:上出慎也

また、展示の説明が難しいからと、イラスト・ふりがな付きの子ども向けパネルを作ったところ、これが大人にも大好評!
「その人が何をしたのかが簡潔に書いてあって分かりやすい」と評判になりました。

この他にも、開館15周年リニューアルを機に開館当初はあった映像・音声機器やハンズオンを廃止するという、ある意味時代に逆行する方針を打ち出しました。
というのも、せっかく偉人学習に来てくれた子ども達には、偉人に集中してほしいという願いから、あえて映像や音声機器を無くしたのでした。

偉人さんたちの生き様、これ以上に面白い展示はない
という自負ともいえましょうか
単純に機器が古くなってきてたからというのもありますが

また、子ども作品展の開催は、より広い世代の子どもたちと保護者が偉人館に来館する切っ掛けづくりともなりました。
今年で16回目を迎えた自画像展、19回目となった名前一文字展。
偉人学習にきた子ども達が「幼稚園で絵を描いたときにきたことあるよ~」と声をかけてくれたりします。
今では「子どもの頃表彰してもらったことがあるんです」と語る親御さんも。
15年以上にわたって繋いでいくことで、地域住民に愛されるイベントへと成長していきました。
先日増山さんの机から出てきた写真には、入賞した子と笑顔で映るお姿が(若干お若い)。

第6回名前一文字展(平成23年)

施設内以外にも、偉人学習促進のため
・DVD『みんなで偉人に会いに行こう!』の作成
・毎年小学校に配布している冊子『もっと知りたい 金沢ふるさと偉人館』の刊行
・出前講座の実施
など様々な工夫をして、子ども達に「偉人」という存在を身近に感じてもらえるように努力を重ねてこられました。

こうした数々の取り組みを通して、一時5000人台にまで落ち込んでいた年間利用者数は、コロナ禍前には20000人を突破するなど見事に偉人館を立て直しました。
まさに「偉人館中興の祖」。

令和元年度を持って市職員を退職され、翌年度からは副館長として新人学芸員(私)の指導のために引き続き偉人館に残られました。

子ども達が大好きだったり、
いつも私達後輩のことを考えて下さっていたり、
笑い上戸でいつも楽しい空気をつくって下さったり、
本気か冗談か分からないことを言うのが大好きだったり、
一緒に出張に行った際はまず喫煙所を探すのが常だったり、
好きなことになると目を輝かせて語り始めたり、
ちょくちょく自分で仰ったことを忘れてたり、
バルーンアートが得意だったり、
こてこてバリバリの金沢弁だったり、
めっちゃ早口だったり、

3年という短い期間ながら、語ろうと思えばいくらでも出て来る増山さんの思い出。それを語り出すと涙が溢れてしまう(?)ので、ここでは簡単な送別の言葉にまとめたいと思います。

たくさんのことを背中から学ばせていただき、本当にありがとうございました。
そして、24年にわたる偉人館での日々、本当にお疲れ様でした。

偉人館の玄関にて

ということで、30周年と増山副館長のご退職と、偉人館にとって大きな節目になった令和5年度でした。
振り返れば色々とんでもないシーズンでしたが、明日からは心機一転!
気持ちを切り替えて仕事に励んでいきたいと思います。
今後の偉人館がどう変わっていくのか、これからも気長に見守って頂ければ幸いです。

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