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キセキの世代⁉明治六年組の軌跡 企画展紹介

明治三年の奇跡
いわゆる「加賀の三たろう」こと鈴木大拙・西田幾多郎・藤岡作太郎、そして天文学者の木村栄が明治3年(1870)生まれであることから、”奇跡の世代”として、このように呼ばれています。

一方、実はあまり知られていないけれども、近代という時代を通して特に多くの偉人を輩出した年があります。

それが、明治6年(1873)

社会では福沢諭吉たちが結成した明六社・明六雑誌が有名ですが、この年の金沢では、後に日本各地で活躍する偉人たちが誕生しました。

その数はなんと最多の6人

6年だけに


今年、令和5年(2023)は、明治6年(1973)からちょうど150年の節目にあたります。

「明治三年の奇跡」世代に比べてまだまだ知られていない彼らをクローズアップしようじゃないか

彼らの遺した業績を、育んだ友情を、歩んできた軌跡を―

それが今回の企画展のテーマ

「明治六年組の軌跡―桐生悠々・安宅弥吉と生涯の友たち―」

になります。

では、明治六年組の内訳を紹介しましょう。

反骨のジャーナリスト・桐生悠々 きりゅうゆうゆう(~1941)

・日本社会へ「言わねばならぬこと」を訴え続けた“反骨のジャーナリスト”。
・軍部批判によって新聞社を辞めさせられても、個人雑誌『他山の石』を刊行して記事を書き続けた。
・主張は憲法に基づく「文民統制の徹底」と「自由の権利の護持」が根本にあった。
・戦線の拡大に伴う政治干渉と統制を強める軍部だけではなく、それを熱狂的・盲目的に受け入れる国民に対しても度々警鐘を鳴らした。

育英に生涯を捧げた大実業家・安宅弥吉 あたかやきち(~1949)

・「誠心誠意欺かず偽らず」をモットーした実業家。
・誠実さと堅実さを武器とした商売で、一代で大企業(のちの安宅産業)を築く。
・弥吉の精神は「人づくり」にあり、「育英事業」に生涯尽力。
・奨学金の設立、丁稚奉公制度の改革、学校の創建、研究資金援助etc.
・鈴木大拙への研究資金援助は特に有名。

「農村自治」に心血を注いだ教育者・山崎延吉 やまざきのぶきち(~1954)

・明治以降衰退の一途を辿る農村の自立と発展を目指し、農業教育に尽力。
・愛知県立農林学校(安城)の校長となり、労働の合理化・収入の安定化のため多角形農業(※)の導入と農業の組織化を推し進め、安城(あんじょう)を「日本デンマーク」と称される農業王国へ導く。
…※年間を通して、稲作、野菜、果樹、草花、畜産、養蚕などを組み合わせて行う農業
・150冊を超える著書を発表し、全国各地を回って累計15,000回を超える講演を行うなど、農村社会の発展と振興に生涯を捧げた。

電気化学工業の父・野口遵 のぐちしたがう(~1944)

・旭化成等各大企業の母体となるコンツェルンを一代で築き上げた。
・電気化学を探求し実業化にいち早く取り組むなど、既存の概念に囚われない研究者兼敏腕実業家。
・水力発電所を建設し、その電気で化学製品を製造するという手法で水俣(熊本)や延岡(宮崎)、朝鮮半島の興南(フンナム)など、工場の置かれた地域を工業地帯に発展させた。
・私財をなげうって野口研究所、朝鮮奨学金を設立。

先人の業績を集大成させた郷土史家・日置謙 へきけん(1873~1946)

・本職は学校教諭(金沢第一中学校…現金沢泉丘高校教諭等)。
・代表作は『石川県史』、『加賀藩史料』、『加能郷土辞彙』、『加能古文書』
・『越登賀三州志』の著者・富田景周、『金沢古蹟志』などを著した森田柿園とならび石川県郷土史の「三傑」と称される。
・先人たちの業績を整理・精査し、その成果を集大成させたほか、郷土史料の翻刻・校訂・刊行に携わるなど、郷土史の普及と発展に貢献した。
・史料考証に基づく実証的な郷土史研究をすすめ、近代石川県史の基礎を築いた「抹殺病」(!?)患者。

金沢の三文豪・泉鏡花 いずみきょうか(1873~1939)

・徳田秋聲、室生犀星とともに「金沢の三文豪」と称される作家。
・夏目漱石からも「天才」と評された。
・代表作は「義血俠血」「高野聖」「婦系図」など。
・尾崎紅葉の門下生となるため上京。以後、300編あまりの小説・戯曲を世に出す。

以上、ざっくりと業績を書きましたが、中々に個性的な面々が多いです。

 一人一人は中々に濃ゆいエピソードを持っているのですが、それはまた別項でお話ししましょう。

では、今回の企画展の内容についてざっくりと紹介します。

今回のメインとなる展示は≪桐生悠々関連資料≫になります。
令和3年度に桐生悠々のご遺族より、令和4年度に『抵抗の新聞人 桐生悠々』(岩波書店、初版1980年)の著者である故・井出孫六氏のご遺族より、桐生悠々関係資料を当館へご寄贈いただきました。

 悠々といえば、亡くなる直前まで刊行していた自費出版雑誌『他山の石』が著名ですが、この『他山の石』にかかわる様々な資料を展示しています。

桐生悠々愛用の本棚と洋書

こちらの本棚は、実際に悠々が自室で使用していたもので、中に収められている本はすべて洋書。
悠々はこの洋書から世界情勢を読み取り、名古屋の片隅に籠っていながら日米開戦を予言し、警鐘を鳴らし続けていました。
『他山の石』は、元々こうした洋書を抄訳(内容を要約したものを翻訳すること)したものを広く日本国民に読んでもらい、世界情勢や日本の政治に高い関心を抱いてほしいという思いからスタートしています。
この洋書たちが悠々の「知の源泉」でした。

『他山の石』本文

こちらは『他山の石』の本文ですが、所々空欄になっているのがわかります。
これは何かというと、本書が度々特高警察より発禁処分を食らうため、悠々が「じゃあこれでどうだ!」と自主検閲をした跡です。
展示では、この部分の原稿=空白部分の文章が書いてあるものを並べて展示しております。

なお、この自主検閲をしても「ここもダメ」と発禁処分を食らうことが多かったという。

この他にも、悠々が亡くなった時に送られてきた多数のお悔やみ文や新聞・著書など悠々の仕事や交友関係を伝える資料を展示しています。

今回、テーマのメインではありませんが、大変貴重な資料が発見されました。
それがこちら↓

画像がちっちゃくて何かよく分からないかもですが、
こちらは与謝野晶子自筆の『源氏物語礼讃歌』という巻物になります。
与謝野晶子記念館の方にも確認して頂いたところ、晶子が百巻限定で制作した自筆巻子のうちの一つで間違いないだろうとのことでした。
現在は十本も残っていないという貴重な自筆巻子が発見されたということで、地元の新聞でも大きく取り上げていただきましたが、今回それを実際に見ていただくことができます。

ここまでメインである悠々関係資料を紹介してまいりましたが、この他にも安宅弥吉宛の鈴木大拙書簡・阿部信行書簡、山崎延吉の掛軸や日置謙が悠々に宛てたユニークな手紙等々、様々な資料を展示しております。
会期は7月17日(月祝)までです。

……

今週末じゃねえか!!

とまあ何を最終盤(7/14)になってから展示紹介を書いとるんじゃという批判は甘んじて受け入れるとして、
会期が終わった後も生誕150年祭はつづきますので、引き続き明治六年組の紹介をしていきたいと思います!

まずはまだ足を運んでおられない方は、是非この三連休を利用して足をお運びくださいませ!

次回の更新はひとまず8月5日からの特別展が明けてから初めて行きたいと思います…
いやーアニバーサリーて忙しいですね………………