金沢ふるさと偉人館

金沢ふるさと偉人館は、金沢ゆかりの「近代日本を支えた偉人たち」を展示する博物館です。 …

金沢ふるさと偉人館

金沢ふるさと偉人館は、金沢ゆかりの「近代日本を支えた偉人たち」を展示する博物館です。               【旧偉人館雑報】 https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/blog/index.html

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  • 雑報

    日々のアレコレ

  • 開館30周年記念(2023)

    令和5年の金沢ふるさと偉人館開館30周年記念展示・イベント情報を更新していきます。

  • 令和4年度企画展

    金沢ふるさと偉人館 令和4年度企画展を紹介します。 前期:「中西悟堂 まぼろしの野鳥図鑑」 後期:高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!」

  • ホップ・ステップ・ジャンプ!ー跳ぶ哲学者 大島鎌吉

    令和3年度後期企画展「ホップ・ステップ・ジャンプ!ー跳ぶ哲学者 大島鎌吉」(10/1~11/14)をもっと楽しんでもらうための様々な情報を発信していきます。 【大島鎌吉とは】 近現代における日本スポーツ界の振興に尽力した偉人です。 1932年ロサンゼルスオリンピックの三段跳び銅メダリストであり、ドイツ従軍記者として第二次世界大戦下の欧州を飛び回り、戦後は東京オリンピック選手団団長をつとめるほか、スポーツを通した青少年育成活動と平和運動に尽力したという、異色の経歴の持ち主です。 平和に基づくスポーツ思想と国内外をまたにかけた縦横無尽の活動から、「跳ぶ哲学者」「アジアのカール・ディーム」「東京オリンピックをつくった男」「プロフェッサー・オーシマ」「学生スポーツの父」など様々な異名を併せ持ちます。

  • 渋沢栄一と金沢の偉人

    大河ドラマ「青天を衝け」に便乗して、渋沢栄一と関わりの深い金沢の偉人とその逸話について紹介します。

記事一覧

ぶらり奥州の旅(前編)

本日12月28日は、偉人館今年最後の開館日です。 …年末はバタバタしている内にあっという間にやってきてしまいますね。 さて、今回は先月行ってきた東北は岩手の旅(勿論…

【雑報】高峰譲吉と三宅雪嶺の墓参り

先日会期終了した高峰譲吉没後100年展の資料返却に併せて、茨城県の流通経済大学さん(龍ヶ崎キャンパス)にある三宅雪嶺記念資料館と青山霊園の高峰譲吉墓所と三宅雪嶺墓…

4.塩原又策のみた高峰譲吉

譲吉と又策の出会いや三共での協力については既にみてまいりましたが、又策が譲吉のために成したことで特に大きいのは、譲吉の逝去に際し行った様々な顕彰運動が挙げられま…

3.高峰譲吉と三共(後編)

前回は、高峰譲吉と三共の創業者・塩原又策の出会いについて紹介しました。 今回は、理化学研究所創設をめぐる譲吉と三共の動きについてみていきましょう。 国民化学研究…

2.高峰譲吉と三共(前編)

今回は高峰譲吉と第一三共株式会社の関係について紹介していきます。 現在、第一三共の歴史展示室には三名の人物が展示されています。 ビタミン学の祖として知られ三共株…

1.高峰譲吉没後100年展 見どころ紹介

大分更新が滞っておりましたが、偉人館雑報活動再開でございます。 会期も残すところ1週間ちょっととなりましたが、ラストスパートを祈念して、高峰譲吉没後100年展「Try, …

ぶらり奥州の旅(前編)

ぶらり奥州の旅(前編)

本日12月28日は、偉人館今年最後の開館日です。
…年末はバタバタしている内にあっという間にやってきてしまいますね。

さて、今回は先月行ってきた東北は岩手の旅(勿論出張でですが)の模様をお届けいたします

関東での用事を終えて、そのまま東北新幹線と東北本線を乗り継ぐこと数時間、やってきたのは岩手県奥州市。
ここは、「Z項」の発見で知られる天文学者・木村栄が所長を勤めた「臨時緯度観測所」(現・国立

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【雑報】高峰譲吉と三宅雪嶺の墓参り

【雑報】高峰譲吉と三宅雪嶺の墓参り

先日会期終了した高峰譲吉没後100年展の資料返却に併せて、茨城県の流通経済大学さん(龍ヶ崎キャンパス)にある三宅雪嶺記念資料館と青山霊園の高峰譲吉墓所と三宅雪嶺墓所に行ってまいりました。

三宅雪嶺記念資料館流通経済大学に三宅雪嶺の記念館…🤔
雪嶺って茨城にいたっけ…?

となる方もおられるかもですが、実は流通経済大学名誉教授の故・三宅立雄先生は三宅雪嶺のお孫さんにあたり、その好で流通経済大学さ

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4.塩原又策のみた高峰譲吉

4.塩原又策のみた高峰譲吉

譲吉と又策の出会いや三共での協力については既にみてまいりましたが、又策が譲吉のために成したことで特に大きいのは、譲吉の逝去に際し行った様々な顕彰運動が挙げられます。

7月22日の譲吉逝去から5日後、東京の又策の家で譲吉の告別式が営まれました。
又策のほか、井上準之助・穂積陳重・大河内正敏・大倉喜八郎・大橋新太郎・大谷嘉兵衛・高橋是清・高松豊吉・団琢磨・益田孝・副島道正・古市公威・浅野総一郎・北里

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3.高峰譲吉と三共(後編)

3.高峰譲吉と三共(後編)

前回は、高峰譲吉と三共の創業者・塩原又策の出会いについて紹介しました。
今回は、理化学研究所創設をめぐる譲吉と三共の動きについてみていきましょう。

国民化学研究所の提唱大正2年(1913)に譲吉は日本に一時帰国します。この時、各地の講演会や雑誌上で提唱したのが官民一体で研究を推奨する「国民的化学研究所の創設」でした。

渋沢栄一によると、譲吉は次のような構想を栄一に語ったといいます。

また、有

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2.高峰譲吉と三共(前編)

2.高峰譲吉と三共(前編)

今回は高峰譲吉と第一三共株式会社の関係について紹介していきます。
現在、第一三共の歴史展示室には三名の人物が展示されています。

ビタミン学の祖として知られ三共株式会社学術顧問であった鈴木梅太郎
梅毒治療剤アーセミンを創製し第一製薬株式会社顧問を務めた慶松勝左衛門
三共株式会社初代社長を務めた高峰譲吉

そう、実は第一三共株式会社の前進である三共株式会社の初代社長は高峰譲吉だったのです。
ただし、

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1.高峰譲吉没後100年展 見どころ紹介

1.高峰譲吉没後100年展 見どころ紹介

大分更新が滞っておりましたが、偉人館雑報活動再開でございます。
会期も残すところ1週間ちょっととなりましたが、ラストスパートを祈念して、高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!―二千五百年の歴史に於て初めての人―」の見どころを紹介してまいります。

今回の展示テーマは大きく二本柱で構成されています。

1本目の柱は「没後100年」。
譲吉の死後、新聞や追悼会でどのような評価がなされて

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