ぶらり奥州の旅(前編)
本日12月28日は、偉人館今年最後の開館日です。
…年末はバタバタしている内にあっという間にやってきてしまいますね。
さて、今回は先月行ってきた東北は岩手の旅(勿論出張でですが)の模様をお届けいたします
関東での用事を終えて、そのまま東北新幹線と東北本線を乗り継ぐこと数時間、やってきたのは岩手県奥州市。
ここは、「Z項」の発見で知られる天文学者・木村栄が所長を勤めた「臨時緯度観測所」(現・国立天文台水沢VLBI観測所)が設置された場所で、木村のZ項の発見や25年間に及ぶ観測記録もここで行われました。
ということで、今回の出張では奥州市(旧・水沢市域)に残る木村栄の資料調査を目的としつつ、その他なかなか来られない場所ですので、近代史を取り扱う施設も時間の限り回ろうという計画で岩手県(水沢・盛岡)を旅してまいりました。
東北本線の水沢駅に降り立ったのは、午後6時過ぎ
辺りはもう真っ暗な夜でした。
岩手に来るのははじめてだったのですが、降り立った第一印象は
…寒い!!!
この日の日中は関東で汗をダラダラかきながら歩き回っていたのに、水沢に着いたら気温は摂氏2度。
風邪引くわ!!!
ちょうど大寒波が襲来するといわれていた日だったので覚悟はしていたのですが…コートだけでは厳しい寒さでした🥶
なんというか、北陸の寒さよりも芯まで冷えるというか…北海道で味わった寒さに近かったです。流石岩手県。
「明日は水沢を一日歩き回らなければならんのに何だこの気温は…」
と小言を吐きながらコンビニでネックウォーマーと手袋を購入して翌朝に備えることに。
というどうでもいい前段は置いておいて、早速本題の水沢めぐりについて書いていきたいと思います
キンキンに冷えた寒空のもと、はじめに向かったのは奥州市立図書館。
図書館の前を流れる小川には、何故か大量の鴨の群れが🦆🦆🦆🦆🦆🦆
(反対側にもいっぱいおる…🦆🦆🦆🦆🦆🦆🦆🦆🦆🦆🦆🦆)
こちらの建物は、図書館に併設された奥州市文化会館です。
またの名を「Zホール」。
実は水沢の街中にはいたるところに「Z」がちりばめられているのです。
もちろん、木村の「Z項」が由来です。
「Z」の街、それが水沢
(ちなみに、金沢にも「Z項」に因んで「Z」を標榜する場所があるのですが、ご存知でしょうか?)
市内四施設からなる奥州市立図書館の中心的図書館が、今回お目当ての水沢図書館です。(外観取り忘れてた…)
館内には、木村栄の常設展コーナーがあり、英国王立天文台から授与されたゴールドメダルや第一回帝国学士院恩賜賞メダル、文化勲章(第一回)などのほか、掛軸なども展示してあります。
お忙しい中、職員の方に館内の案内・解説をしていただきながら、資料調査を進めていると、ふとウチの副館長が「そういえば…」となにやら思いだした様子。職員さんが「ああ、それでしたら」と向かわれた先にあったのが、この謎の穴…というか痕跡
一体何の痕跡でしょうか?
正解は「元ここに展示されていた天頂儀の跡」でした
天頂儀とは緯度を精密に測るための機器で、木村は眼視天頂儀を使って観測をおこないました。
当初は水沢図書館さんの2階学習コーナーに設置されていたそうですが、木村榮記念館が設立されるにあたり、記念館の展示物としてそちらに移動したようです。(ウチの副館長が以前来られたのは、記念館が出来る前の15年以上昔、まだ水沢市立図書館だったころ)
天井に空洞があるのはその頃の名残だそうです。
「これ何?」と思われていた水沢の皆様。
これが展示してあった形跡でございますので、是非覚えて帰ってくださいまし。
水沢図書館での調査を終えた後、次に向かったのは後藤新平記念館。
「大風呂敷」の異名でしられる水沢出身の政治家・後藤新平は、台湾総督府民政長官時代に数々の大事業を成し遂げ、同じく「八田の大風呂敷」と呼ばれた金沢の偉人・八田與一(台湾嘉南大圳をつくった技師)から「俺は後藤新平のひいたレールの上を歩いているのかもしれん」と呼ばれるほどに、台湾の近代化に尽力しました。
ということで、最初は八田與一との関係(直接的つながりはないですが)などの観点から見学に行ったのですが、やはり水沢。
しっかり木村栄との繋がりもありました。
さらに、後藤新平の記念像が建立された時の映像(戦前)では、在りし日の木村栄が映っているではありませんか…!
思わぬ出会いに「これが”ご縁”というものか…」と感激しておりました。
ちなみに、水沢にはこのほかにも高野長英記念館、斎藤實記念館など、全国ネームの人物を複数排出しています。
後藤新平に斎藤實…敏腕政治家を二人も同時代に輩出しているのは素直に凄い。
金沢は…どちらかというと科学や教育方面で活躍した偉人が多いですね。
そうこうしているうちにお昼になったので、天文台に向かう途中にあったお店に入ることに
………。
おわかりいただけただろうか
それはそうとそういえばこの地域は阿弖流為(アテルイ)の本拠地だったなあと思いだしつつ、「はっと」(奥州の郷土料理。美味。)を食べて歩くこと約5分。
目的地に到着です。
ということで、次回は国立天文台・奥州宇宙遊学館・木村榮記念館について。
(おまけ)
後藤新平記念館を後にして歩いている途中、新平に関係するものを発見。
年末には特にお世話になる郵便ポスト。
ポストが赤色なのは、後藤新平が逓信大臣に「燃えにくく、目立つように赤の鉄製にしよう」と決めたからなのだそうです。
へぇ~~~…というか、
懐かしいなこの形!?
普通に街中にあるところをみると、現役なのかしらん?
私がちびの頃はまだ見かけた気がしますが、現役のは本当久々にみたな…
後藤新平のふるさとということで、あえて残しているのかもしれませんね
しかし懐かしいな…