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令和4年度企画展

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金沢ふるさと偉人館 令和4年度企画展を紹介します。 前期:「中西悟堂 まぼろしの野鳥図鑑」 後期:高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!」
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#高峰譲吉

4.塩原又策のみた高峰譲吉

譲吉と又策の出会いや三共での協力については既にみてまいりましたが、又策が譲吉のために成したことで特に大きいのは、譲吉の逝去に際し行った様々な顕彰運動が挙げられます。 7月22日の譲吉逝去から5日後、東京の又策の家で譲吉の告別式が営まれました。 又策のほか、井上準之助・穂積陳重・大河内正敏・大倉喜八郎・大橋新太郎・大谷嘉兵衛・高橋是清・高松豊吉・団琢磨・益田孝・副島道正・古市公威・浅野総一郎・北里柴三郎・岸清一・渋沢栄一・鈴木梅太郎らが友人総代として、九百人あまりの来弔者とと

3.高峰譲吉と三共(後編)

前回は、高峰譲吉と三共の創業者・塩原又策の出会いについて紹介しました。 今回は、理化学研究所創設をめぐる譲吉と三共の動きについてみていきましょう。 国民化学研究所の提唱大正2年(1913)に譲吉は日本に一時帰国します。この時、各地の講演会や雑誌上で提唱したのが官民一体で研究を推奨する「国民的化学研究所の創設」でした。 渋沢栄一によると、譲吉は次のような構想を栄一に語ったといいます。 また、有名な戦艦と研究所の話も、『実業之日本』に投稿した「余が化学研究所設立の大事業を企

2.高峰譲吉と三共(前編)

今回は高峰譲吉と第一三共株式会社の関係について紹介していきます。 現在、第一三共の歴史展示室には三名の人物が展示されています。 ビタミン学の祖として知られ三共株式会社学術顧問であった鈴木梅太郎 梅毒治療剤アーセミンを創製し第一製薬株式会社顧問を務めた慶松勝左衛門 三共株式会社初代社長を務めた高峰譲吉 そう、実は第一三共株式会社の前進である三共株式会社の初代社長は高峰譲吉だったのです。 ただし、創業者は別。 ん? 初代社長なのに、創業者は別? どういうことかというと、こ

1.高峰譲吉没後100年展 見どころ紹介

大分更新が滞っておりましたが、偉人館雑報活動再開でございます。 会期も残すところ1週間ちょっととなりましたが、ラストスパートを祈念して、高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!―二千五百年の歴史に於て初めての人―」の見どころを紹介してまいります。 今回の展示テーマは大きく二本柱で構成されています。 1本目の柱は「没後100年」。 譲吉の死後、新聞や追悼会でどのような評価がなされていたかを紹介しています。 特に評価された四つの顔「発明家」「化学者」「実業家」「