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館蔵品展【前期】の見どころ紹介①

今年度入って漸くの更新!
サボり癖が板についてまいりました…(なんとかせねば)

5月病?いえいえ、むしろバリバリ働きまくってます。
単にそろそろ更新しなきゃなーと思いつつ気づいたら5月に…(ゴニョゴニョ

そんなことはさておき、久方ぶりの更新の今回は
先月20日(土)より開催中の館蔵品展「いじんコレクション大公開!」
の見どころについて紹介していきたいと思います。

いじんコレクション大公開!

と銘打った今回の館蔵品展。
・偉人が集めてたコレクション?
・偉人館が集めてた偉人の資料?
とややこしいネーミングですが、どっちも兼ねてます!
偉人が集めていたものから、偉人館が収集した偉人たちの資料まで、とにかく普段なかなか表に出てこない資料たちをピックアップして大公開したろ!
というのが今回の趣旨になります。

特に、今回は
「こういう時じゃないと中々見られない」
を意識してピックアップしました。

その結果、

一回じゃ全部展示しきれねえ~~~~!!!

と嬉しい悲鳴となったため、前期展・後期展に分けて開催することに。
現在開催しているのは前期展―明治・大正編―になります。

ということで、6月23日(日)までは、明治・大正に活躍した偉人たちのコレクションを紹介しています。
その中でいくつか紹介していきましょう↓

日本人初のシベリア横断 嵯峨寿安のトランク

嵯峨寿安がシベリア横断に用いたトランク

こちらは日本人としてはじめてシベリア横断を敢行した金沢藩士・嵯峨寿安(さがじゅあん 1840~1897)の唯一残された遺品です。
ロシアへの留学を希望していた嵯峨寿安でしたが、藩からは「予算的にムリ」と渋られてしまいます。
そこで、正規ルート(海路を使ってヨーロッパから入るルート)ではなく、ウラジオストックから首都・サンクトペテルブルグまでの約8000kmの道のりを自力で横断するルートを採り、留学を実現させます。

予算もない中で徒歩という選択肢を選んだ寿安。
明治2年(1869)に徒歩・ソリ・蒸気船を乗り継ぎながら8か月かけて横断し、サンクトペテルブルクでロシア文化を学びました。
とんでもない旅程ですが、それでも実行してしまうところから、留学にかける寿安の並々ならぬ情熱が伝わってまいります。

しかし、明治7年(1874)に留学を終えて帰国すると、廃藩置県で金沢藩は既になく、また西欧を重視した新政府からも「ロシアは別に…」と重用されずに不遇の後半生を送ることになります。

ご遺族は県外に住んでおられましたが、ある時「ウチにこんなものがある」ということで寄贈いただいたのが、このトランクでした。
8000キロの険しい道のりを寿安とともに過ごしたトランク。
見た目は重厚ですが、材質は紙製でとても軽い(!)のです。
幕末~明治初期にかけてのトランクということで、とても貴重な逸品でもあるます。

金沢でも知る人ぞ知る存在の嵯峨寿安。
並々ならぬ努力も情熱も、時機が悪く歴史の中にひっそりと埋もれてしまいました。
ご遺族が大切に保管していた貴重な遺品を展示し、彼の情熱を改めて紹介しています。

この他にも様々な「いじんコレクション」を展示しておりますので、雑報で紹介していこうと思います。
乞うご期待!