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福祉の歴史に金沢あり! 企画展紹介―善隣館編③―

前回の記事からまた一ヶ月も空いてしまいましたが…
今回は先月24日に会期終了した企画展「福祉は金沢から始まった!―陽風園と善隣館―」の最終回になります。

前回は善隣館の誕生~戦時中の善隣館について紹介しました。
最大19施設も金沢市内につくられた善隣館。
社会が大きく変わった戦後、そして現在においてはどのような活動をしているのでしょうか。

公的福祉の充実と公民館発足

終戦後、GHQの指揮のもと日本は様々な分野で法整備が進みました。
それは、福祉の分野も例外ではありません。

民生委員令(1946)により、方面委員は民生委員へと改名します。これにより、「慈善事業に従事する委員」というイメージから「国民生活をサポートする委員」へとイメージ転換を図ったのです。
次いで児童福祉法(1947)が制定され、民生委員は児童委員も兼任することとなり、昭和30年(1955)に全国民生委員・児童委員協議会が結成されました。荒崎良道は石川県出身者で唯一協議会の会長を務めた(1968-)ことでも知られています。

日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は皆さまも授業で暗記したかと思います。
これを実現するために、生活保護法(1950)が制定されました。

また、昭和26年(1951)に社会福祉事業法(現 社会福祉法)が制定され、陽風園や善隣館も社会福祉法人と位置付けられます。
このように、昭和30年までの間にさまざまな福祉法が一挙に制定されました。

十数年前まで、全国の方面委員たちが心血を注いで国家による福祉法制定のために奮闘していたことを考えると、終戦が如何に日本社会へ大きな変化を与えたのかがうかがい知れます。

さらに昭和30年代に入ると、国民健康保険法国民年金法(1958)などが制定され国民皆保険制度が構築されていきます。
我々一般ピープルでも聞いたことのある用語が見受けられるようになってまいりました。

公的な福祉が充実していく一方、日本経済にも大きな変化が見られました。
いわゆる朝鮮特需から長らく続く高度経済成長です。
かつて「一億総中流」(なんて羨ましい言葉)とまで称された日本の好景気と女性の社会進出の一般化により、戦前に奥様方に対して行われていた授産事業は、その役割を大きく減らしました。

もう一つ、社会教育分野でも大きな変化がありました。
それは公民館の登場です。

昭和21年(1946)の文部次官通牒の中でその名が明記され、1960年代にかけて全国各地に設置されていきます。
社会教育法(1949)第二十条には
「公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする」
と明記されており、社会教育施設であることが法的に明示されました。
こうして社会教育を担う施設としては、公民館が全国的に一般化されていきます。

このように、戦前において公共の福祉・医療・社会教育事業の不足を補ってきた善隣館は、豊かな時代を迎えるとその役割も失われていきました。
その結果、地域での役割を終えた善隣館は公民館に吸収されたり、閉鎖されました。

しかし、社会が抱える問題は消えることはありません。
人口増加に伴って保育や託児の必要性は一段と高まり、平成に入り少子高齢化が問題視されると、デイサービス事業を展開していきます。

現在は11の善隣館が金沢市内で活動を行っています。
その活動は金沢市善隣館協議会のHPにて一覧で見ることができますので、是非覗いてみてください。

現在の活動で特に多いのは、こども園の運営や放課後児童クラブ、次いで高齢者福祉サービスとなっています。
そうした中で、例えば第一善隣館では、NPO 法人などと共同で障害者就労継続支援として地域のコミュニティカフェ「ZenrinCafe」を運営するなど、新しい地域福祉の活動を進めています。
このように善隣館は社会のニーズに合わせてその役割を変えながら、金沢の福祉を支え続けています。

今回の企画展開催にあたり、善隣館の方がおっしゃられていたのが

「善隣館が大切にしていることは居場所づくり」

ということでした。

コロナ禍で、物理的に孤独を感じた人々は老若男女問わず大勢いたことと思います。
最近は少子高齢化や地方の過疎化に加え、相次ぐ自然災害による地域コミュニティの消滅…

今まで当たり前にあった自分たちの「居場所」が無くなっていく

そうした問題が各地で散見されるようになってきました。
慣れ親しんだ土地や人々と離れて生活することは、想像以上にストレスを感じることであり、簡単に言葉では言い表せません。

善隣館では、地域の住まう人々が一人でもこうした「孤独」から解放されるように、少しでも人と人とのつながりを感じられるように、日々活動を続けています。

この居場所づくりの話をギャラリートークで行った際、参加されていたとある女性が私にこのような話をなさってくださいました。

「以前、陽風園さんに入っていた夫が亡くなったのだけれど、職員の皆さんが最後まで看病して下さり丁重に弔ってくれました。娘と『お父さんに居場所があってよかったね』と語り合っていましたが、居場所づくりの話を聞いて、まさにこのことだったのだなと。改めて福祉に従事して下さっている方々に感謝の思いがこみ上げてきました。」

公的福祉が充実しても、人々の生活が豊かになっても、孤独を感じる人々は後を絶たちません。
人と人とをつなぎ、居場所をつくっていく―それが民生委員をはじめ社会福祉に従事する人々の本質なのかもしれません。

ということで、企画展「福祉は金沢から始まった!―陽風園と善隣館―」の紹介シリーズは以上で完結です!
冬季は子ども作品展をやっており、筆者(学芸員)は子ども作品をペタペタおじさん、表彰式を行うおじさんに変身するのですが、折を見て雑報を更新していきたいと思います(約束はできない)

それでは皆様、よいお年を~