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そうだ東京に行こう―秋聲と悠々の青春アミーゴ―

長らく本編(?)をお休みしておりました。学生時代の秋聲と悠々について、石川県専門学校→第四高等中学校の順でみてきましたが、今回は青春編いよいよ最終回。

前回までのあらすじ
数学と化学が大の苦手だった秋聲は次第に文学への情熱から、落第と父の死を契機として学校を退学。親友の桐生悠々とともに尾崎紅葉(当時の売れっ子小説家)に弟子入りするために上京して尾崎邸を訪問します。
そこで玄関番として現れたのは、後輩の泉鏡花でした。

少し刻を遡って、秋聲たちが金沢を出発して東京にたどり着くまでの道程を見ていきましょう。

時は明治25年3月末、小説家を目指して上京する秋聲ですが、故郷金沢を離れる心境や如何に。

人にも土地にも愛着はなかった。

だそうです。
「こんなとこ出て都会でひと旗上げてやるぜー!!」という地方の夢見る若者の心境は古来同じですね。しかもこのとき秋聲は一人ではありません。親友でしっかり者の悠々が同じ夢を目指して一緒に上京します。それもあってか、道中次第に移り変わる風景や言葉を生き生きと描いており、希望に満ちあふれた心境が伝わっていきます。

足取りを追うと、秋聲と悠々+途中まで同行する悠々の連れの3名は金沢市街地から森本→津幡→倶利伽羅峠→石動→水橋と、東回りで東京に向かっています。最初は意気揚々と歩いていましたが、水橋を過ぎる頃には足もヘトヘトに。

「おーい、船にすれば可かったじゃないか。」
 先に立った桐生が振り返ったが、やっぱり歩いて行きたいのが、三人共通の気持ちであった。

楽しそうだなオイ。
その日は「行き当たりばったりに」宿を取って、翌日は車も使いつつ市振まで移動。宿の看板娘に見とれつつ、

此処まで来ると、言葉ががらりと変わっていた。桐生と等は、此の少女の言葉に早くも東京を感じて悦んだ。

可愛いなオイ。
翌朝市振を発つと親不知の難所まで車移動、嶮岨を超えて糸魚川方面へ。その翌日には直江津で人生初の汽車に乗車。「桐生はすっかり嬉しくなってワツトに感謝した」という微笑ましいエピソードも。
そのまま汽車で終点長野まで向かい、ここで一泊。翌日はトンネル工事中の碓氷峠に苦戦しつつも、夜には東京上野へ到着。

4泊5日の長旅の末、遂に東京へ到着します。経路を眺めてみると、大体現在の北陸新幹線のルートに沿って移動していることが分かりますね。

さてここから東京に住んでいる旧友のつてを借りつつ、下宿を決めて悠々と暮らすのですが、それまで石川県を出たことがなかった秋聲にとっては東京は驚きの連続だったようです。景色も文化も風習も食も人となりも違う環境に暫し戸惑った様子が描かれています。

さて、いよいよ紅葉宅を訪ねていくのですが…
前段が長くなったのでまた次回に。
(泉さん出番を引っ張ってすみません…)