②ロサンゼルスオリンピックじゃんねー!!(1/3)
前回予告したとおり、今回は1932年ロサンゼルスオリンピック編でございます。
と、その前に、ロサンゼルスオリンピックに至るまでの大島鎌吉の足跡をせっかくなので見ていきましょう。
「いだてん」第二部(通称河童編)は、関東大震災の翌年大正13年(1924)からスタートします(第25回「時代は変わる」)が、この年は大島が三段跳び選手として芽を出し始めた年でもあります。
「名を竹帛に垂れ」大島鎌吉登場!(第25回)
北國新聞 大正13年9月朝刊の記事「北陸中等学校陸上競技大会―【第二日目】」に大島の名前が記載されています。
これが大島の資料上初見とみられます。
ホ。ス。ジヤンプ決勝
正見優勢にて第五跳記録された大島之に亞ぎ最後跳が記録となる……
第一回北陸中等学校陸上競技大会記録
……
ホ。ス。ジヤムプ決勝
……
(二等)大島鎌吉(金商)12米28
※「ホ。ス。ジヤムプ」とは、三段跳びの正式名称「ホップ・ステップ&ジャンプ」のことで、「三段跳び」の名前は織田幹夫(1905-1998・広島県・早稲田大)が命名したものです。
当時金沢商業学校(現 石川県立金沢商業高等学校)2年生(16歳)だった大島は、優勝には届かなかったものの2位に入っていました。
ここからメキメキと力をつけていき、昭和2年(1927)の頃には上海で開催された極東選手権競技大会に出場し、三段跳びで銀メダルを獲得します(金は織田幹夫)。
北國新聞では「名を竹帛に垂れ 大島選手帰る」というインタビュー記事が写真とともに大きく掲載されました(北國新聞 昭和2年9月8日 朝刊)。
「名を竹帛に垂る」とは「歴史に名を残す功績を立てる」ということ。日本陸上競技界の若きエースとしての期待が伝わってきます。
※昭和2年の新聞記事は企画展にて拡大したパネルを展示しています。
この翌年、大島は故郷石川県を飛び出し、関西大学に進学します。
この入学の際に、大島鎌吉を鎌吉たらしめるエピーソードが。
【鎌ちゃんのエ~~~~!!!ピソード】
『反骨の精神で関西大学入学』
若くして陸上競技界の期待のエースとして注目されていた鎌ちゃんのもとには、陸上の強豪校から多数のアプローチが。早稲田など東京諸大学からは学費免除などの勧誘を受けたものの、鎌ちゃんは首を縦に振りません。
「学生の本分は学業であり、スポーツは余暇で楽しむもの」という持論から、スポーツ一辺倒の勧誘姿勢に違和感を覚えた様子(これを学生時代に持論としているのも凄い…)。
そんな中、関西大学陸上競技部の主将 岸源左衛門(1902-1966)は大島に次のような勧誘の言葉をかけます。
「関大は何も出さんが、日本一にしてやる。世界一には自分でなれ。」
この言葉に鎌ちゃんは関大入学を決意。
…え!?
惹かれる要素あった!?Why!? と思ってしまいますが、筋金入りの反骨魂の持ち主である鎌ちゃんには甘い勧誘よりもこちらの言葉の方が響いた様子。
ちなみに、当時の関西大学千里山キャンパスには東洋一と謳われた巨大なグラウンドを有していたことも理由の一因でした。
早稲田などスポーツの名門校を断って関西の新興勢力である関大に入ったことは、今後の大島の人生においてもある種大きな影響を与えていくのですが、それはまた後ほど。
(※その他の鎌ちゃんのエ~~~~~!!!ピソードは企画展で展示中)
この時勧誘に来た岸源左衛門という人物は、大島曰く「名伯楽」だったらしく、以下のようなエピソードを残しています。
雨が振ってきたので、部室でくつろいでいた関大陸上競技部の部員たち。
そこに岸主将がやって来て、窓を眺めながら一言
「アメリカでは、雨が振っとらんかもしれんなぁ」
この一言に、後輩たちは我先にとグラウンドに向かって練習を始めた、と。
この他にも、常に医学書を持参してスポーツ医学を実践していた(この当時に!)とか、劇を観に行って、悪役に演技に我慢ならず舞台へ登って役者をひっぱたいた(役者は感激した)とか、とにかく濃いエピソードの持ち主でもあります。
(…いだてん関西編とか普通にいけるのでは?)
この岸主将のもとで練習に励めたことで、大島は科学トレーニングなどスポーツ科学への興味関心を強めていきます。
さて、大島が関西大学に入学した昭和3年(1928)に起きた出来事と言えば、そう 1928年アムステルダムオリンピックでございます。
「いだてん」でいえば第26回「明日無き暴走」。これは筆者の筆にも熱こもります、が………
全然ロサンゼルスオリンピックまで進まないじゃんねーーー!!!?
タイトルに(1/3)とついている時点で察した方も多いと思いますが、次回アムステルダムオリンピック、次々回ロサンゼルスオリンピックにします。
毎度長くなってしまいすみません…。
(企画展期間中に終わるかなぁ…?)
次回(2/3) 陸上競技の先輩達―織田幹夫・南部忠平・人見絹枝(第26回)
参考文献
岡邦行『大島鎌吉の東京オリンピック』(東海教育研究所、2013年)
中島直矢・伴義孝共著『スポーツの人 大島鎌吉』(関西大学出版部、1993年)