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ぶらり奥州の旅(後編)

えーっと、前回の更新が2022年12月28日で、今日が………
4が月と10日ぶりの更新となりました偉人館雑報でございます。

連載モノの途中で止まるんじゃないよ!!!

大変失礼いたしました…
本当は新年早々に更新するつもりだったので、新年度早々にズレたということで何卒…

前回は奥州市立図書館さん、後藤新平記念館さんを見学し、いよいよ国立天文台水沢VLBI観測所に到着しました。

この観測所こそ、我らが木村栄がZ項を発見し、世界にその名を轟かせたはじまりの場所なのです。
ということで、木村のZ項発見の経緯をざっと振り返っておきましょう。

Z項発見の経緯

1894年、地球の緯度変化を解明するための国際観測プロジェクトが提言され、世界数か所の観測地点の中に日本も選ばれました。
1898年、第12回万国測地学協会で、岩手県の水沢(北緯39.83)が観測地点に決まり、ここに観測所が建てられることに。

維新を迎えて30年が経った日本でしたが、世界からの信頼はまだ薄く、当初はドイツ人技師を日本へ派遣し、観測を行う案が計画されていました。
しかし、日本の科学者たちは断固これを拒否。
「ひとりでできるもん!」ということで、じゃあ誰が観測を担当するのかとなった際、白羽の矢が立ったのが、木村栄でした。

写真椅子席一番右が木村(28歳)

1899年、臨時緯度観測所が建てられ、栄は29歳で初代所長として赴任しました。
1900年、木村はポツダム中央局に半年間の観測記録を送りました。それから約半年後、帰ってきた答えは

「50点」

こんな精度じゃダメダメだ!という不合格の通知が届き、日本の天文学界に大激震がはしります。
機械の故障や計算のミスなどあらゆる可能性を探りつづけますが、原因は判明せず…。
半年が経ったある日、各国の観測結果を見比べていると、一年を周期とする謎の変動値があることに気が付きます。
この変動値を既存の公式(Δφ = X cos λ + Y sin λ)に加えて計算してみたところ、なんと水沢の観測結果が最も精度が高かったことが明らかとなりました。

木村はこの変動値を「Z項」として論文を作成。
1902年、この論文が学会誌上で発表されると、即座に認められ、ポツダム中央局もZ項を加えた新公式(Δφ = X cos λ + Y sin λ+Z)を採用しました。
こうして面目躍如となった木村は、世界から認められたばかりでなく、世界的な発見をした日本人として国内でも一躍時の人となりました。

こうした木村の業績もあって、臨時緯度観測所は緯度観測所へと変わり、また第一次世界大戦の欧州の混乱にあって、中央局を水沢が担当するなど世界の天文学に貢献しつづけます。

木村はその後も「Z項」とは何なのか、という謎を追い続けますが、生前に解き明かすことは出来ませんでした。
「Z項」の正体が明らかとなったのは、木村の死からおよそ30年の時を経てから。

1970年、緯度観測所の故・若生康二郎氏が、地球が剛体ではなく流体であることにより生まれる誤差であることを突き止めました。
「Z項」の謎は、木村の後輩たちによって解明されたのでした。

水沢キャンパス 散策

こうした経緯もあって、1899年の創設以来120年以上にわたって緯度観測を続けている国立天文台水沢。
近年では現・所長である本間希樹先生によるブラックホールの観測で話題となりました。

ということで、一般の方は入れない場所…かと思いきや、実は緯度観測所時代の建物が多数残存し、それが記念館などとして活用されているため、構内には自由に入ることが出来るのです(09:00から17:00まで)
過去と未来が同居する空間…なんと贅沢な場所……!!

ということで、早速観測所時代の遺構や建物を見ていきましょう。

木村榮記念館

初代所長である木村の業績と観測所の歴史を紹介する木村榮記念館
この建物はなんと、1899年の臨時緯度観測所創建当時の建物を使ってします。
中には木村の遺品や当時の貴重な写真などが多数展示されています。
最初はこんなちっこい素朴な施設からのスタートだったのですね。

…なんかどっかで見たことあるような………

奥州宇宙遊学館

木村榮記念館(旧・臨時緯度観測所)の斜め向かいに立っているこちらの厳かな建物。

もうお気づきと思いますが、こちらは1920年より発足した緯度観測所の建物になります。一階建ての素朴なつくりだった臨時緯度観測所と比べて随分と立派になって…
この建物は現在、奥州宇宙遊学館として宇宙の展示や科学イベントなど、老若男女が楽しめる施設として地元で愛されています。
お土産コーナーには宇宙食や『ブラックホールまんじゅう』をはじめとしたオリジナルお菓子も…!
なお、お土産に全種類購入して帰りましたが、いずれも美味でした。ブラックホール美味し。

この建物の裏には、木村栄がこよなく愛したテニスコートがあり、宮沢賢治の『風野又三郎』では「木村博士」がこのコートでテニスをしている様子を、又三郎が観測所の屋根から眺めている場面がでてきます。
曰く、職員をボコボコにしていたとか。
(なお、現在のテニスコートは建物をコート側に移動した関係で当時の半分程の大きさになっています)

これらの建物は入り口付近にあり、ここからさらに水沢キャンパス構内を散策することができます。
奥州宇宙遊学館さんで散策パンフレットを配っているので、まずはそちらに立ち寄ってパンフレットをもらい、早速見学開始!

色々と写真は撮ってきましたが、ここで全部出しちゃうと勿体ないですから、いくつかピックアップして紹介させていただきます。

やはり一番の目玉はこれでしょう

20mアンテナ

大きすぎて全体が入らないぃ…!!

こちらは20mアンテナといいまして、何かというと
………

日本国内の4カ所(岩手県奥州市、鹿児島県薩摩川内市、東京都小笠原村、沖縄県石垣市)に設置した口径20メートルの電波望遠鏡の観測データを合成して、日本列島規模の巨大なVLBI観測網(VLBIは超長基線電波干渉計の英語略称)を形成します。これを用いて、天の川銀河の天体位置を高精度で計測する観測を進めています。地球の公転運動に伴うわずかな星の位置変化(年周視差)から星までの距離を正確に求めるとともに、天の川銀河の運動の研究を進めています。

水沢VLBI観測所 | 国立天文台(NAOJ)

です!(すみません…)
この20mアンテナ、日本の4ヶ所の観測を組み合わせると、直系2300kmの天体望遠鏡レベルの力を発揮するそうで、

か、かっけぇエエエエエエエ!!!!!!

少年漫画心が燻られる設定ありがとうございます。

散策道路には、水沢が観測所に選ばれた理由である39°8'線のマークが。
「おー、ここが39°8'線かー」とその線の先を追っていくと、まさにその線上に白い百葉箱のような建物とアンテナがあるではないですか。

実は、手前のこの建物こそ、木村が眼視天頂儀を用いて緯度観測をおこなった眼視天頂儀室そのものなのです。

眼視天頂儀室

屋根の真ん中に線が入っていることにお気づきでしょうか?
実は、観測の際は真ん中が開閉して観測できるようになっています。

か、かっけぇエエエエエエエエエエ!!!

真ん中が割れて中からメカニックが登場するのは少年心を燻られますね…

その当時の貴重な様子は、木村榮記念館さんのHPで写真が公開されていますので、是非ご覧ください。

この眼視天頂儀室の横にみえるアンテナは、3.3mパボラナアンテナといい、1987年に導入されたもので、それまでの目視(眼視)による観測より高い精度の観測が可能となったのでした。

水沢の観測を支える新旧観測機器・施設たち

この他にも木村がよく転げ落ちてた溝だったり、スーパーコンピュータ「アテルイⅡ」だったり、見どころ盛りだくさんですので、是非散策してみてくださいませ。

ということで、水沢は木村栄ファンにとって聖地ともいえる場所でございました。

この翌日は盛岡でいくつかの博物館施設によってから、じゃじゃ麵を食べて新幹線で金沢に帰郷しました(爆速報告)。

水沢も盛岡もご飯がおいしかったです。
そして滅茶苦茶寒かったです。
とても良いところでした。

いや~また行きたいですね。

明日行ってきます。