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【図録発刊記念】もうひとつの『原色野鳥ガイド』

金沢ふるさと偉人館

さて、先々月に会期が終了した企画展「中西悟堂 まぼろしの野鳥図鑑」ですが、この度、企画展の協力団体である『原色野鳥ガイド』研究会さんより
 
図録『幻の野鳥図鑑『原色野鳥ガイド』中西悟堂・企画 小林重三・画』
A4判 160ページ、うちカラーが72ページ
定価:3,000円(税込)
 
が発刊されました~~~!!!🎉
 
事前予約をされた方は既にお手元に届いていると思いますが、
偉人館のミュージアムショップでも販売が始まりましたーーー!!🐣
 

図録『幻の野鳥図鑑『原色野鳥ガイド』中西悟堂・企画 小林重三・画』


企画展では期間ごとにバラバラに出していた小林重三の美麗な野鳥図200点以上がフルカラーで掲載されています!
さらに企画展では一部しかお見せしていなかった、『野鳥ガイド 上巻・陸鳥篇』の原画(平岩康熙)及び『野鳥ガイド 下巻・水禽篇』の見本刷り(下村兼史)のすべても掲載!
その他『原色野鳥ガイド』研究会さんや小林重三のご遺族の方による各論が掲載されており、より深く「中西悟堂とまぼろしの野鳥図鑑」の世界を堪能できます(筆者もちょこっとですが参加しています)。
 
ということで、今回は企画展のおまけ更新として、企画展では扱わなかった『原色野鳥ガイド』にまつわるエピソードを紹介します。

もうひとつの『原色野鳥ガイド』

『原色野鳥ガイド』研究会さんの名前にもなっている、『原色野鳥ガイド』は悟堂が戦後まもなく日新書院から刊行を企図していたものの、出版社側の都合で結局タイトルの見本刷りができたまでで未刊のままに終わってしまった幻の野鳥図鑑です。
その後、構想はロマンス社の『原色野鳥図譜』、角川書店の『日本野鳥ガイド』に引き継がれ、これらの挿絵を鳥類画家・小林重三が担当していた―というところまでが企画展でのお話でした。
実は、
 
『原色野鳥ガイド』の挿絵を小林重三は担当していませんが、『原色野鳥ガイド』の挿絵を小林重三は担当しているんです。
 
 
……
………???

ちょっと何言ってるのかよく分からないですね


野鳥図鑑に詳しい方はもうお分かりだと思いますが、『原色野鳥ガイド』という名前の本は実はもう一冊あるのです。
それは、
 
石沢慈鳥『原色野鳥ガイド』上下巻(誠文堂新光社、1950,51年)
 
まさに「もうひとつの『原色野鳥ガイド』
 
こういうと少年漫画の劇場版タイトルみたいというか、世間的には構想段階で立ち消えになった悟堂の『原色野鳥ガイド』の方が「幻のもうひとつの『原色野鳥ガイド』」なわけですが。
 
とにもかくにも、『原色野鳥ガイド』という本は鳥類学者の石沢慈鳥(1899-1967)の解説、小林重三の挿絵で出版されていたのです。
 
現在、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧が可能(図書館・個人送信資料)となっており、その「はしがき」全文を以下に掲げます(旧字体・異体字は新字体に変更)。

 野鳥の奏でる美しい音楽がどんなに人生を楽しませ,そのやさしい容姿がどんなに自然の景観に情趣を添えているか,また昆虫や野鼠・雑草の種子等を主食としている野鳥が,農林産物の増産に如何に大きな役割を占めているかは計り知れない.然るに長期の戦争で,山林は濫伐され荒地は開墾されて,野鳥はその棲所を失い,且つ濫獲の結果近年その数は著しく減じてしまった.戦後,連合軍総司令部天然資源局野外生物課の力により「日本鳥類保護連盟」が結成され,各方面協力して各種の鳥類保護事業が計画実施せられるようになり,また科学教育の普及に連れて,野鳥の観察研究に趣味をもつ人が漸次多くなって来たことは,まことに喜ばしいことである.それにつけても一般的な野鳥観察の手引書が要望されるのであるが,戦後今なお1冊も刊行されないことは誠に遺憾といわなければならない.
 私は昭和10年に下村兼史氏と共に,わが国最初の野鳥手引書「原色野鳥図」を著したが,今回は全く版を改めて「原色野鳥ガイド」上下二巻を著すことにした.上巻即ち本書には,北海道・本州・四国・九州に繁殖する鳥(留鳥・漂鳥・夏鳥)を掲げ,下巻には同地方に出現する冬鳥及び旅鳥と,北海道及び伊豆七島にのみ繁殖する鳥類を掲げることにした.
 本書に掲載した鳥類は44科152種であるが,鳥図は雌雄・老鳥幼鳥・夏羽冬羽等の別を示すために,1種につき2羽ずつ掲げた種類もあるので,その数は182羽に達している.これを6頁に収めたため1頁に30羽内外入り,可成り縮小するの止むなきに至ったが,これは時節柄経費を節約して,出来るだけ安価なものを汎く世に頒ちたい私の念願に外ならない.然しながら,限られた紙面に如何にして最大の効果を挙ぐべきかについては少からず苦心した.
 鳥図の描写は40年に亘る永き経験を有し,わが国に於て最も優れたる鳥類画家小林重三氏に御依頼した.その配列順序・姿勢・向き方等は私の考案によるものであるが,かく整理統一することは本書の使命上最も緊要なことと考えたからである.氏はこの無理な注文を快く容れられ,大小種々雑多の鳥体の比例を巧みに現わすと共に自然な姿態と美観とを損わず,渾然と1枚の図中に収められたきことは,氏の多年の経験と苦心の賜である.
 本書は以上の趣旨により編集したものであるが,何分にも小冊子のことであり,その内容にはなお不備の点の少くないことを怖れる.然し本書が野鳥観察の手引書として幾分でもお役に立ち,更に進んで鳥類研究に志す人が輩出されるならば,私の最も欣快とするところである.
  昭和25年3月
石沢慈鳥

石沢慈鳥『原色野鳥ガイド』上巻(誠文堂新光社、1950年)pp1-2

石沢慈鳥(本名・石沢健夫)は山形県生まれの学者で、東京農業大学卒業後、農商務省に勤務。鳥獣調査を担当していたこともあり、野鳥以外にも様々な論文を残しています。

「はしがき」でも触れられていますが、石沢は下村兼史とともに『観察手引 原色野鳥図』上下巻(三省堂、1935,37年)を刊行しており、これが国内最初の野外用鳥類図鑑(観察手引書)であったとされます。

このように、悟堂と同時期から野鳥愛護運動を支えてきたのが石沢でした。また、昆虫の研究者でもあるなど、悟堂との共通点も多いのも特徴です。

また『原色野鳥ガイド』の構成をみると、悟堂が企画していた『原色野鳥図譜』(ロマンス社)同様、1頁に複数の鳥(カラー)を載せて解説頁は白黒にすることで安価な値段にしようとしていた、という点も似通っています。
 

こっちが悟堂の『原色野鳥図譜』挿絵原画

こっちが石沢の『原色野鳥ガイド』挿絵
 
 ロマンス社の解散によって『原色野鳥図譜』の出版計画が立ち消えになったのが昭和25年(1950)7月。
まさか同年に自分が構想していたタイトルで、しかも構成も似た作品が発行
されるとは悟堂も驚きだったと思います。

実際、悟堂はこの本が刊行されたとき、どのような反応を示したのでしょうか。

悟堂の反応

悟堂が『原色野鳥ガイド』の名を使用しなくなったのは、『野鳥ガイド 陸鳥篇』の発行を担当していた日新書院から「『野鳥ガイド』の名前は他社で出すときは使わないでほしい」とお願いをされたためであり、それゆえ別の出版社から刊行を予定する際には『~図譜』『日本~』と名前を変えていたわけです。
 
石沢版『原色野鳥ガイド』は誠文堂新光社が出版を受け持っているため、日新書院とは一切関係ありません。

ではなぜこの名前で出したのか、悟堂はどんな反応を示したのか。
 
実はそのことに触れている悟堂の著述が残されています。
 
月間随筆『連峰』No.26(1980)掲載の寄稿「野鳥ガイド」から引用してみましょう。
 

(前略)
 この、ガイドという本は私が出した本の時代には全くなかったばかりでなく、他の案内書にも用例のなかったものだが、その後、石沢君という人が誠文堂新光社から同名の『野鳥ガイド』上下二巻を出した。或る人がなぜ中西のと同名の本を出したのかときいたら、この題は姓名判断上、よく売れる名だから使ったという答であったということで、私は吹き出して笑った。(後略)

中西悟堂「野鳥ガイド」『連峰』No.26,pp21-22

「姓名判断上、よく売れる名だから」
 
たしかにそんなこと言われたら笑ってしまいます。
 
後年若手研究者が『野鳥ガイド』という名の本を出した際には「昔は一世風靡した本だったんだけどな~、若手の人は知らないか~、これも時代かな~」とものすごく残念がっているあたり、悟堂としては『野鳥ガイド』の名に並々ならぬ思い入れがありました。
 
この後の文章で、石沢がなんのわだかまりもなく「謹呈中西悟堂様 著者」とひょいっと本を寄贈してくれたことに触れており、そのあまりのあっけらかんとした対応に悟堂も笑って「まあいっか」となったようです。
 
ということで、『原色野鳥ガイド』は石沢慈鳥の本として世に出たわけですが、実は同時期に「まぼろしの『原色野鳥ガイド』」があったことを是非覚えておいてください。

悟堂の心残り

寄稿文「野鳥ガイド」には続きがあり、これを読んだ読者からお手紙が届いたらしく、その内容に感激した悟堂がその全文と当時の『野鳥ガイド』にかけた思いを続編「再び野鳥ガイドについて」で語っています。
 
手紙の内容を要約すると、
・終戦時学生だった自分は、『野鳥ガイド』第10版が虎の巻でした
・10版の紙質は最悪のセンカ紙ですが、今でも大切に保存しています
・その後も鳥の本はたくさん出ましたが、『野鳥ガイド』に匹敵する本はありませんでした
・当時『野鳥ガイド』を使って勉強させていただいたことに、改めて感謝申し上げます
 
この手紙をもらった悟堂は当時(戦後まもなく)の『野鳥ガイド』への情熱と心残りについて、次のように振り返っています。

 しかし、鳥の絵もオールカラーとしたいし、学名のうちの属名の変わったものとか、十年間の夥しい探鳥会や私自身の山旅によって知見を増した新しい分布地なども加えたい、という気持から、第14版を以てみずから絶版を宣言したもので、それが戦後何年頃だったか、きれいに忘れてしまっていたのであった。
 その後も野鳥の会の仕事はあまりに忙しく、且つ「野鳥」は毎月赤字つづきであっても、出さねば野鳥運動の火が消えるので、その欠損を補うために、新聞雑誌からの注文はことごとく引受ける一方、本も出しつづけて、その稿料や印税の大半を「野鳥」の続刊に注ぎこんだことから、遂に『野鳥ガイド』の改稿は果たせなかった。今も大きな心残りの一つとなっている。もちろん陸鳥全部の姿と飛翔図のほか、一種々々の卵の図も、早くから日本一の鳥の画家、小林重三画伯にカラーで描いてもらってあったので、野鳥記を刊行してくれた春秋社もその改版を是非にとすすめてくれていたのは、長期にわたって売行のつづくものとの判断があったかであったろうが、とうとう執筆のゆとりがなく、現在ならばたぶん数十万円の値にもなるかと思う小林画伯の厖大な鳥画、鳥卵図も空しく私の篋底にあるのだ。

中西悟堂「再び野鳥ガイド」『連峰』No.29,p31

空しく眠らせていると語る小林重三の原画たちは、それから半世紀以上の時を経て、金沢ふるさと偉人館で展示され、図録として刊行されました。
 
小林重三の原画を良質な状態で展示することができたのは、悟堂が大切に保管し、悟堂の長女・『原色野鳥ガイド』代表の小谷ハルノ氏が「是非偉人館で」とお声がけくださったおかげでした。
あらためて感謝申し上げます。
 
ということで、会期終了から1か月以上たちましたが、これにて「中西悟堂 まぼろしの野鳥図鑑」の更新を終了します。
 
より詳しく知りたい方は是非図録をご覧ください!
 
次回からは、現在開催中の高峰譲吉没後100年展「Try, Try Again!―二千五百年の歴史に於て初めての人―」(r4 9/17-11/20)について更新していきますm(_ _)m

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