物書きってレベルじゃねぇぞ!―若き秋聲と悠々の挫折
次期企画展の準備にかまけて気づけば10日近くも更新をサボっておりました…。
えー前回青春篇最終回とのたまいながら前半だけで区切っちゃいましたが、今度こそ最終回です。
さて、小説家を目指して上京した秋聲と悠々は、尾崎紅葉の門下生となるために紅葉宅を(アポなしで)訪ねます。すると、中から出てきたのは玄関番をしていた泉鏡花でした。
これには秋聲もビックリ…というわけでもなく、弟子入りしているのは事前に把握していた模様。
いずれにせよ、玄関番が知り合いだったわけですからこれですんなり紅葉に出会えた…
なんてことはなく、鏡花にそれとなく門前払いされます。
「先生は今ちょっとお出かけですが……」と挨拶した。
「何時頃おいでゝすか。」
先に立っていた等がきいた。
「さあ、ちょい〱気紛れにお出かけになりますから。」
ガーンとなった秋聲と悠々。仕方がないので翌日小説の原稿を送り付けることに。
その後送り返されてきた原稿には、半紙が入っており、件の有名な台詞が記されていました。
「柿も青いうちは鴉も突つき不申候」
「青臭すぎてひと様に見せられる内容じゃないね(意訳)」
某映画『イノセンス』にも登場する台詞の元ネタですので聞いたことがある方も多いんじゃないかと思います。
これを読んだ秋聲は
自分の力を過信し、世間を甘く見ていた田舎ものゝ額に、鉄拳が飛んだようなものだった。……悠々の小篇は、明るいだけでも若干読み応えもあったであろうが、メランコリックな等のものに、取り柄のある筈もなかった。
と述懐しています(凄い卑下してる…)。
ちなみに、その場では「その手紙を二つに割いてしまった。」そうで。滅茶苦茶ショックだったのがよく伝わります。
希望いっぱいに上京した秋聲と悠々は早速大きな挫折を味わうことに。
それでも最初はめげずに博文館などへ原稿を持っていき、活字化もしくは編集員として雇ってもらえないものかと願うも、あえなく撃沈。
しかしこのままだと食いっぱぐれちまうてことで消火栓づくりをはじめます。が、長続きするわけもなし。さらに軽微の天然痘に掛かるという弱り目に祟り目。そしてここで、ふたりにとって運命の分かれ道がやってきます。
頭の切れる悠々は東京暮らしに早々に見切りをつけ、ひとり金沢に帰郷します。そして四高に復学し、東京帝国大学に進学。卒業後はジャーナリストとしての道に進んでいくことになります。
実は、悠々も『他山の石』にて「思ひ出る儘」という回想録を書いており、その中で当時のことについて
友人の徳田氏が跡に残って、どれほど難儀をするか、又どれほど淋しい思いをするかなどを、思い煩らう余裕もなく残酷にも、翌朝今度は新橋から汽車に乗って、一路矢の如く帰国してしまった。
と回想しています。悠々もいっぱいいっぱいだったんですしょうね。
この時、なぜ秋聲は悠々についていかなかったのかというと、悠々は四高に復学していますが、秋聲はそんな気がどうしても起きなかったようで。つまり金沢に帰りたくなかったようです。
では秋聲はこの後どうしたかというと、大阪にいた長男のもとに転がり込んでフリーター生活を営むことになります。
大阪編スタート!…ですが、本企画展は「『光を追うて』にみる金沢」ですので、雑報で扱うのはここまでにしておきましょう。
その後の秋聲がどう迷走をしながら、文壇の道に進んでいったのかは、是非『光を追うて』でご確認ください。続きは小説で!
本題はこれでおしまいですが、ちょっとおまけ話を。
先ほど悠々の回想録「思ひ出る儘」を紹介しましたが、この中でも紅葉からもらった手紙についての逸話が載せられています。
『光を追うて』では「柿も青いうちは鴉も突つき不申候」
でしたが、悠々の「思ひ出る儘」では
「柿も渋いうちは烏もつつき不申、赤くなれば、人間が銭を出しても、食べたがり申候」
と、内容がより具体的に。『光を追うて』のように前半部分だけだと突き放されてる印象を受けますが、「赤くなれば~」以降を併せて読むと叱咤激励しているようにもみえますね。
ほかにも「青い」「渋い」といった違いが見えるのも面白いです。『光を追うて』を読み終わったら、別(悠々)視点で楽しめる「思ひ出る儘」を読むとまた違った面白さが見えてくるかもしれません。
え?どうやって読めるのかって?
偉人館ならだれでも読めるんですよ…☺
ということで、秋聲と悠々の青春篇はおしまいです。次回は『光を追うて』に登場するとある建物の謎について。