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秋聲は見た―三層楼の白堊の牛肉店

前回の更新からあっという間に10日近く経ってしまいました…。その間に三十路に突入。定年まではまだまだ道のりが長いですね。

さて、今回は『光を追うて』に登場するとあるお店についての謎を追っていきます。

・・・・・・対岸には三層楼の白堊の牛肉店などが聳えたち、・・・・・・
・・・・・・川向こうの三層楼の牛肉店では、いつも葱をつけてくれたが、それを兄と二人で炉の切ってある長四畳の中の間で煮て食うことにしていた。

「三層楼の白堊の牛肉店」
皆さんはご存じでしょうか?金沢―特に浅野川文化圏にお住まいだったご年配の方はピンとくるのではないでしょか。

サムネイルで既にネタバレしていますが、かつて橋場町(はじめ大手町)にあった県内初のすき焼き屋「ト一亭」です。平成初期つまり30年ほど前に店をたたまれたようです。
今回の企画展では、近世史料館さんからお借りしたト一亭の引札(明治の広告)や『石川県下商工便覧』(明治21年刊)を展示していました。下の画像は国立国会図書館デジタルライブラリーから引用した『石川県下商工便覧』のト一亭のページです。

ト一亭71コマ

……ん?
(パラパラパラ…)「三層楼の白堊の牛肉店」
「三層楼」

この絵…2階建てじゃない?
何故?why?
ということで、早速調べてみました。

ト一亭は明治4年(1871)に現在の大手町で開業しました(秋聲と同い年ですね)。その後、橋場町に移転。秋聲がト一亭の川向かいに住んでいたのは明治16、7年頃なので、それまでには移転していた事が分かります。『石川県下商工便覧』の刊行は明治21年。その間に2階建てに改築したのでしょうか。

そこで、明治36年刊行の『北陸三県実況案内』をみると、なんとト一亭の写真が載ってるじゃあありませんか。

北陸三県実況案内

(より高精細なものはこちらをご覧ください。)

むむー!三層楼!一階部分こそ違いますが、屋根といい欄干といいそっくりです。

では何故2階建ての絵に?ますます謎が深まります。
よく見ると、絵と写真で橋の方向が違います。また、『石川県下商工便覧』は大阪の堺で出版されたものですから、著者の川崎源太郎が書き間違えたのでしょうか。うーむ…。

もやもやしたまま色々本を捲っていると、『金沢の老舗』(北国出版社、1971年)という本の中に在りし日のト一亭の店内写真が。
その店内をよーく見ると、『石川県下商工便覧』にそっくりな絵が額に入れられて飾られています。そしてその絵の建物は…
なんと三階建て(!)。三階建てなこと以外はほぼ同じ絵で間違いありません。

ということは、
①『石川県下商工便覧』の絵に2階部分を追加して飾った
②本絵(三階建て)を細長い冊子に収録するために、2階部分を切り落とした
のどちらかが考えられます。
うーむ、これはどっちが先なんだろう…
店内に飾られていた三階建ての絵は現在どこにあるのだろう…

色々疑問は尽きないところですが

これ以上深入りすると、偉人全然関係ない話になってくるのでおしまい!

ということで、皆さまもし更なる情報がございましたら情報提供いただけると幸いです(他力本願)。グダッグダですみません…。

12日までにあと1,2本更新したいですね!でも企画展準備が修羅場なのであまり期待せずにお待ちくださいm(_ _)m

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